みぎきき

こどもがいる生活の忘備録

復職して2週間の雑感

復職して12営業日。
出勤したのは11日。そのうち早退が1回。

 

育休からの職場復帰に際していちばんよく聞く言葉は「がんばりすぎないで」「無理をしないで」だと思う。初めての復職だとこのがんばりすぎ、無理をするのボーダーラインがたぶん自分でもわからない。

 

自分はと言うと、初日からトップギア(死語)で行った。


1年不在の間、上司の判断で後任を据えずに彼が業務を引き継いだけれど、彼ができることはわたしの全担当業務の2%くらいだった。それでも同僚みんなが「ケイコさんが何をしていたかを理解させるいい機会だ」と思ったらしく、1年容赦なく上司に業務を課したと言う。それでもできないものはできないので、外注に出したそう。

 

そうして1年が経って、わたしの人件費がそのまま浮いていたはずだけれど、外注コストが発生した結果、わたしのコストパフォーマンスの良さが浮き彫りになった形で大変喜ばしいことになっていた。1年間、無理難題を突きつけられていた上司は「1日でも早く戻ってほしい」と復帰を待ち望んでいる状況となった。

 

同僚はもちろん、取引先の方や一緒に仕事をしていたたくさんの方からもあたたかい言葉をかけてもらった。初日にはなんとデスクにこどもの写真が飾ってあって感激した。先輩がプリントして額まで用意してくれていて、もちろんそのまま飾っている。

おかえりというメッセージ以上に、こどもがいるわたしの立場をそのまま受け入れてくれているようでとてもうれしかった。

 

仕事はと言うと、土日休んで月曜に出社した、くらいの感覚でとくにブランクは感じなかった。そもそもわたしはGWや年末に巷で「こんなに休んだら社会復帰できないよ~」と見聞きする度に、この程度の休みで…と思うタイプだし、1年休んでも週明けくらいの感覚なら少なくとも3年は休まないと「社会復帰が~」と言えるほど休んだ気はしないと思う。と言うことで、初日からとくにセーブすることなく仕事をした。上司は明らかに産休前よりも敬意を払ってくれていた。わたしの意見をより重要なものとして扱っているのがよくわかる。

 

そして6日目の出勤日のお昼前。携帯電話に保育園から着信があった。
38.2℃の発熱でお迎え要請。やりかけの仕事を持ち帰って、午後は自宅勤務とした。解熱剤の座薬を入れた後、眠ったり遊んだりしてるのを見守りながら仕事をした。

 

翌日も解熱剤の効果が切れると39℃近くまで熱が上がる状態だったので、1日自宅勤務とした。仕事部屋につみ木やおもちゃを持ち込んで、足元で遊んでもらいながら、仕事を片付けた。

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リモートワークは働いている姿を見せることができないので、より結果を出さなければというプレッシャーがある。途中抱っこ紐にこどもを入れたり、膝に座らせたりしながら、結果的には想定していた以上に作業を進められた。

 

実は勤め先にリモートワークの制度はない。

産休に入る1ヶ月前に自宅勤務にさせてほしいと申し出た時も前例はなかったけれど、現実としてわたしにしかできない業務がそこにあり、産休に入るまでの期間限定でもあったのですんなりと受け入れられた。この時に復職した時のことも意識してはいたので、この1ヶ月で上司や職場の人を仕事ぶりで安心させられれば、次に繋がるかも知れないと思った。

 

そして復職の面談時にダメ元で交渉した。こどもの体調不良の際、仕事ができる病状や状況であればリモートワークを認めてほしいと伝えて、3日後にOKの返事が来た。「目一杯働いてもらいたかったら認めないと損ですよ?」くらいのことは言ったと思う。

 

とは言え、わたしだけが特例になる訳だし、社内にはもう1人ワーキングマザーがいて、彼女は業務の性質上リモートワークがむずかしい。「欠勤扱いにするよりも場所は問わず仕事をしてもらった方が助かる」と思ってもらえなければ、思ってもらえる仕事ぶりでなければ、実際に実行するのはむずかしいなと思った。

 

なので、初日からのトップギアだった。できるだけ早いうちに自分がいることのメリットや安心感を感じてほしかったし、信頼も得たかった。残業なしのフルタイムでも問題なく業務をこなせるという安定感も示したかったし、無理をしていないことも伝えたかった。はじめてのお迎えコールが来るまでちょうど1週間だったけれど、その頃にはちょうどわたしがいて当たり前の産休前の状況になっていた。

 

もっと早くにこどもが体調を崩していたらこんなにスムーズではなかったと思うから、こどもの日々の頑張りもありがたかった。嵐ではなく風のような2週間だった。家族3人、生活は一変したけれど、思っていた以上に今までとおり穏やかににこやかに凪いだ海のように過ごせた。それでもわたしもこどもも、それぞれの持場を新たに持って少したくましくなった。まだまだ始まったばかり。