みぎきき

こどもがいる生活の忘備録

赤ちゃんが1歳になった

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赤ちゃんが1歳になった。

誰が聞いてもそうですかと思うだろうけど、育てていた当人は「マジか」の一言に尽きる。生きてると本当に1歳になるのか、マジかという気持ちになる。

 

「元気に生まれますように」が叶ったその日に赤ちゃんはこちら側にやって来て、それからは「元気に生きますように」と祈りながら日々を過ごすわけだけど、入院中病院側に属していた赤ちゃんを突然「あとはヨロシク」という感じで切り離しこちらに渡され退院して、そこからは右も左もわからず走り出すしかなかった。こんな素人のわたしたちによくも赤ちゃんを託せるものだな…と思った。

 

育児が何なのか、子育てが何なのかわからないまま毎日を一緒に生きて、最初の1週間、1ヶ月は突然3時間ごとに区切られた世界を生きる。入院中から自分の胸は母乳が出るか、赤ちゃんが飲みやすいかの基準だけで「良いおっぱい」と「そうではないおっぱい」と判断されて、38年間一緒に過ごした身体の一部が不憫になる。1日がすごく長いようで気がつくと夜になってた。

 

母乳が出ないこと、うまく吸わせられないことがこんなに辛いこととは思わなかった。そんなことで自分が涙する日が来るとは思わなかった。今までの人生の経験や知識や何もかもが役に立たず、自分がどんな人間かも意味がなく、ただただ母乳が出るおっぱいが求められた。

 

1ヶ月が過ぎて初めて赤ちゃんと2人で外に出た。これまで毎日歩いていた道がまるで違う世界に見える。1歩1歩がドキドキして「わたしは赤ちゃんを持っています!」という気持ちでいた。1ヶ月経ってふっくらと大きくなったように感じる赤ちゃんも、街の人にはとんでもない小ささで道行く人や馴染みの商店のみんなが声をかけてくる。「暑くて大変ね」「気をつけてね」「がんばってね」「何かあればここで休憩していきな」
これまで赤ちゃんと2人きりの世界で生きていたけど、ドアを開ければ外だ、外に出れば人がいるんだ、という当たり前のことに感動した。

 

 3ヶ月までは永遠だった。この人と仲良くなれるといいなと思いながら赤ちゃんを見つめてた。泣けば心がざわつくし、眠ればホッとすると同時に淋しかった。夜中に寝顔を見ながら自分は本当に赤ちゃんを産んだんだなと実感なく思った。かわいいと思い始めたのもこの頃かもしれない。それまでは神々しい生き物をお預かりしているという気持ちだった。

 

4ヶ月目から飛ぶように毎日が過ぎた。赤ちゃんと2人でいると、働いていたときの政治やしがらみや思惑がどんどん削ぎ落とされて、自分まで無垢な生き物になっていくような気がした。この人には正直でいなければならない、この人の前にいて恥ずかしくないような人でいたいと思うようになった。笑っても泣いてももう赤ちゃんはこわくない。だんだん仲良くなれるような気がしてきた。

 

半世紀先と思っていた離乳食が始まって生活も一変して、ミルクだけで育っていた神聖な生き物が食物を口にするようになって、さらに人間らしくなってきた。人一倍成長がのんびりな赤ちゃんが6ヶ月直前についに寝返りをした。生まれた直後、自分で動けないとはなんて不便で不快なことだらけの毎日なんだろうと見守っていた赤ちゃんが、自分で自分の身体をひっくり返した。

 

初めて赤ちゃんと年を越してお正月を過ごした。昨年末にまだぺったんこのおなかで「来年は赤ちゃんがいる年末なのか、うそみたい」と思ってたけど、ちゃんといた。まだ喋れないし好きに動けないけど、2人が3人になるとお家はにぎやかで華やいだ。

 

2月になるとついに赤ちゃんがゆっくり動き出した。保育園に入れることになった。安堵と淋しさで忙しかった。24時間一緒にいる生活はあと2ヶ月となって、せっかく仲良くなってきたところなのにとも思った。でもすぐに自分は働いてお金を稼ぐのが向いてるから、それをやりたいし、やるべきと思った。そんなことはお構いなしに赤ちゃんはぷくぷくと育っていた。

 

保育園が始まって結局2ヶ月間、わたしは仕事もせずに赤ちゃんとも一緒にいない生活を送った。驚くほどすばやく産む前の自分に戻った。自分の考え事に集中する感覚や身軽さは一瞬で馴染んだ。これまでいつでも赤ちゃんと一緒だった暮らしは一人旅をしている時みたいな感覚だったなと思った。思いがけない出来事にたった1人で出会った時、そうか自分はこんな風に感じるのかという気持ちと、そうそうわたしならそう対処するよねという気持ちとがある。赤ちゃんといることで同じように初めて知る意外な自分と、よくよく知っている自分を再認識した。思っていた以上に情緒が安定している人間なんだなというのが大きな発見だった。

 

辛かったのは最初の1ヶ月、母乳かミルクかを決めるまでの間。それ以降、正直大変だなと思うことはほとんどなく、毎日がうそみたいに楽しかった。眠る前に明日も1日赤ちゃんと好きなように暮らせるのかと思うと、毎日がお楽しみの前日という気持ちだった。こんなに予定のない日々が続くことも、仕事をせずに過ごすことも、誰かとずっと一緒にいたことも、お家に長くいたことも初めてで、そのどれも気に入ってて、とにかく隅々まで楽しいとおもしろいで埋め尽くされて天国みたいだなと思って暮らしていた。

会う人みんなに「毎日ほんとうに楽しい」と伝えていた。産前にもう二度と日の目は見れない収監前の囚人という気持ちでいて、臨月になっても「逃げ出したい」と誰彼構わず言っていたので、みんな笑って「よかったね」と言ってくれた。

 

育児中で毎日あるいは頻繁にしんどい人には聞こえが悪いかも知れないけれど、毎日がただただ楽しいっていうのは事実で、「育児は死ぬほど辛いと言うか死ぬ」という呪いに長らくかかっていた身からすれば、こういう風に感じる人もいるって知りたかったなと思う。たった1年の感想だし、明日には「もう無理、つらい」って言ってるかも知れないけど、それでもこんなに楽しく過ごせたことは記録しておきたい。

 

 赤ちゃんが1歳になった。

 

昨日も今日も楽しそうに生きててうれしい。明日も明後日もそうだったらいいなと思う。

 

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