みぎきき

こどもがいる生活の忘備録

赤ちゃんが2歳になった

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赤ちゃんが2歳になった。

 

0歳から1歳までが赤ちゃんとされてるけど、1歳になってもまだまだ赤ちゃんだった。

 

昨年書いた1歳の時の日記のとおり、生まれて初めて接する神聖な生き物とともに暮らした1年は、驚きと発見がやわらかな繭に包まれたような日々で、泣いたり笑ったりしながらも雲の上のような現実味のない天国の暮らしだった。

 

その後の1年は毎日の仕事も加わり、地に足のついた暮らしになるかと思いきや、登園前と帰宅後にこどもと過ごすわずかな時間はやっぱり雲の上のようで、結局赤ちゃんが来て以来わたしの生活は甘やかな空気を纏っている。

 

復職して2〜3日で仕事の勘は完全に戻り、1週間の夏休み後くらいの感覚だった。復職初日はデスクに額に入ったこどもの写真が飾られていて、それがどうしてこれを?という1枚だったこともあって、大いに笑いつつみんなの優しさに涙ぐんだ。

 

小規模園だからか、こどもは熱も出さず感染症にもかからず、ほぼ休まずに登園した。

 

2ヶ月も経つと、少し物足りなさを感じるようになった。妊娠中は毎日これまで感じたことのない身体の変化や不安があり、産後は赤ちゃんと一緒の飽きることのない変化の毎日で、刺激があり過ぎたんだと思う。復職後の生活のリズムが整うと案外日々は単調で、見る見る進化していくこどもに比べて自分に惰性を感じるようになった。全力で生きてるこどもを間近に見ていて、自分も何か新しいことを始めたくなり転職活動を始めた。

 

こどもは1歳2ヶ月。いまだに歩き出す気配はなく、どこでもハイハイで動き回ってる。「給食室からごはんやおやつが運び出されると拍手して見守っている」と先生が教えてくれた。初登園から4ヶ月一度も泣くことなく預けられたけど、他のみんなが泣き止む頃に泣き出すと聞いた。預けられたことに気付くのに時間がかかる、おっとりタイプの食いしん坊だった。

 

ある日、こどもがリュックを置いたイスまでハイハイで来て半泣きで手を伸ばしてる。何をしたいのか最初はわからなかった。リュックのサイドポケットにストローマグを入れていたのを覚えていて、今はそこにないマグを求めてリュックを目指してここまで来たんだ、お水が飲みたいんだ、と気づいた。どうってことのない出来事だけど、こどもの思考過程が見えたようで目が醒める思いだった。

 

夏の間、園でのプールは1日もかかさず泣いたらしい。水には入れず、みんなを見守って夏を過ごしたそう。この頃、預ける時に泣くことが増えた。先生がようやく保育園に預けられてることを理解したみたいと言っていて、彼の物事へ馴染む速度がいかに自分と違うかを思い知った。

 

 

1歳4ヶ月になる数日前に初めて歩いた。それからさらに1ヶ月経って、園にお迎えに行くと、初めて先生と手を繋いでテトテトとゆっくり歩いてこちらに来る姿を見て思わず泣いてしまった。

 

8ヶ月でズリバイ、11ヶ月でハイハイ、1歳4ヶ月で歩行。今までずっと横になってた人が縦になってる姿はなかなか見慣れなかった。こどもも視界が大きく変わって、それまでとまるで違う景色を見ていたと思う。

 

たぶんこのくらいまでは赤ちゃんだった。何がって言うとむずかしいけど、生き物としての赤ちゃん卒業は1歳半くらいだった気がする。

 

復職して半年後、夫の最大限の協力と献身でフルタイム時々早退・リモートワークで働きつつ、転職先を決めた。こどもと迎える2回目の年末とお正月。おせちのかけらを少し食べたりして、いよいよチーム感が出て来た。

 

 

年明け、わたしの転職により、こどもは毎週1〜2日延長保育となった。19時に園に駆け込むと、淋しくて泣いてることもあって胸が痛んだ。走って汗をかきつつ電車に乗り込み、走行中も事故で遅れたりしないよう祈る気持ちで過ごし、何とか1分でも早く到着できるよう園までまた走るお迎えの道のりは、それはそれはスリリングだ。

 

 

こどもは少しずつ意味のある言葉を発するようになった。宇宙語の中に日本語らしきものが混ざるようになった。1歳後半は、日々言葉が増えてコミュニケーションが成立することも増えた。この人が生まれてからずっと同じ空間にいてもそれぞれで生きているという感覚があって、別のものを見て別々の気持ちでたまたまお互いそこにいるという実感があった。会話が成立した途端、一気に向き合う形に生活が変わった。ただ2人でいるというより2人で過ごすと言えるような時間が増えた。彼に対して「なるほど、こんなところがあるんだ」という発見が毎日あった。人間が言葉を獲得していく過程を初めて目の当たりにしたこともあり、普段聞いている音の中から気になるものを拾い、再現するその行程をおもしろく観察した。

 

そして赤ちゃんの時と比べて決定的に違うのが頭。完全に石頭なので、寝かしつけなどで油断すると思いがけない時に思いがけないところから頭が降ってくるので、こちらが本気でシクシクと泣くことになる。

 

 

2月、1歳8ヶ月で初めての園の発表会があった。0歳クラスはお歌を3曲。ステージの幕が開くと、1人全力で泣き続けているこども。他の子はみんな歌ったり、そっぽ向いたり自由にしていて、泣いているのはわたしたちのこどもだけでびっくりした。慣れない場所で泣かないよう本番前に1ヶ月かけて先生たちが会場での練習をしてくれていたこと、その時も彼がよく泣いていたと連絡帳に書いてあったことを思い出した。おっとりでのんびりで言い方を変えれば鈍いとも言える性質と思っていた彼に、こんなに繊細な部分があったんだとハッとした。慣れない環境にいる不安や怖さを感じていたんだと思ったら切なくなった。プールで一夏泣いていたのもきっとこういうことだったんだと思った。まだまだわたしは彼のことを知らない。

 

 

入園して1年が過ぎ、とんでもなく先輩に見えた1歳クラスに彼は進級した。そしてどんどん喋るようになる。宇宙語も交えてとにかく話すので、今までに聞いたことのない音も増え、こんな声をしてたんだねと毎日楽しく聞いた。当てずっぽうであおやきいろと言うし、数字を見れば1とか5とか言う。それが何色かわからないのに色を示す言葉を選んでいたりと、とにかく不思議が多い。

 

初めて2人でベビーカーなしで、歩いて近所のパン屋さんに行った。片道おとななら2分の距離を2人でゆっくり歩いた。毎日見ている景色がまるで違って見えた。産院から退院して1ヶ月検診を終え、初めて彼を抱っこして2人きりで外に出た時の気持ちを思い出した。昨日と今日は違う世界、このパン屋さんまでのおつかいはわたしたち2人きりの秘密の冒険。こどもは一目パンを見たらがまんできず、帰りはかぼちゃパンをかじりなら歩いてた。

 

1歳最期の夜。生まれてからずっと指しゃぶりをしながら眠る彼に「チュッチュなしで眠れるよ、できるよ」と伝えてみると「できる」と言って、初めて指しゃぶりなしで眠った。何かをがまんしてるところを初めて見た。うっかり指を口に運ぶたびに「できる」と言ってその手を遠ざけた。明日になれば1歳の彼にはもう会えない。彼はきっと何も覚えていないけど、わたしや夫はきっとこれから何度も何度でも1歳のこどもを思い出す。初めて歩いた時のこと、初めて車をぶーあと呼んだこと、ラムネがこわくて泣いたこと、何度でも思い出す。

 

 

こどもはいらないと思って生きてきた。すべての時間やお金を自分のために使って生きていくと思っていた。ふと淋しさを感じた瞬間に、ずっと傍に小さな人がいるってどんな気分だろうと思った。一番煩わしいと思っていた暮らしに興味が湧いて、幸運にも小さい人がやって来た。それ以来、わたしの毎日は甘く甘く、同じくらいこわいことも増えたけど、それを超える甘さで包まれている。実際こどもはいつも甘く香ばしいキャラメルのような香りがする。こどもとの暮らしがこんなにも甘やかとは知らなかった。

 

 

昨年と同じく、彼が明日も明後日も楽しく生きていけますようにと思う。赤ちゃんが2歳になった。