みぎきき

こどもがいる生活の忘備録

直葬で母を送った話

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2015年母と2人旅した長崎 (彼女の故郷)

妊娠中、母が入院と同時に医師から「いつ何があってもおかしくない」と言われていたので、葬儀のことを考え始めていた。

 

母は元々お葬式そのものが嫌いで、仲の良い人ほど彼女のそういうところを良く知っているので懇意にしていた人の葬儀ほど行かず、逆にそれほど深い付き合いでない人の場合には渋々行っていた。何度も「もしわたしが死んだらお葬式なんてやらないていいからね。自治体がやってる一番安い市民葬みたいなのでいいから。」とよく言っていたので、いわゆるお通夜・告別式を手配するつもりはなかった。

 

いろいろと調べたところ、一番シンプルなお葬式の形が「直葬」だと知る。
お通夜や告別式のような宗教行事をせず、火葬のみを行うもの。おそらく彼女が望むのもこれだろうと思った。直葬が可能な葬儀屋さんを調べ、そのうちの1つに電話で問い合わせをして、もし母が亡くなった場合どのような手はずを踏んだらいいかを教えてもらった。とても親切に対応してくれて、ここにお願いしたい、そうしようと思った。

 

その翌日、母が亡くなった。

朝出勤しようとしたところに病院から電話があり「血圧が下がってきたのでもしかしたらという感じです。病院に来られますか?」と言われた。会社に欠勤の連絡をして病院に向かい、その日の夕方に息を引き取った。入院からちょうど3週間経ったところだった。

まず会社に連絡し、翌日の午前のみ出社しその後午後と翌日は欠勤する旨を伝えた。そして担当看護師に呼ばれ「今からお母さんの身体をきれいにします。その間に遺体を引き取る準備をしてください。時間はおよそ30分です。」と言われ、面食らった。

30分。母の葬儀を考え、葬儀会社を手配し、迎えを頼むまでの猶予が30分。

たまたま前日に直葬可能な葬儀屋さんに連絡を入れていたため、迷わずそちらに電話をかけ相談をしたところ、すぐにお迎えにあがりますと対応してくれた。

 

準備がなく突然この時を迎える人もいるだろう。亡くなったショックでとても葬儀屋さんを探すような余裕がない人もいるだろう。病院が提携している葬儀会社を使う人もいるだろうし、宗教の関係で選択肢が限られている人もいるだろう。何にしろ、ここで与えられる時間はそれほど多くない。

家族間で葬儀の形について意見が食い違うことはあると思う。すでに亡くなっている故人なので、葬儀は残された人のためのものという考え方もあると思うけれど、わたしは生前の母のスタイルに添いたかった。

 

1時間半後、葬儀屋さんが到着して遺体を車に乗せた。一緒に斎場まで移動し、遺体を安置している間に控え室で簡単な打ち合わせ。詳細は翌日夕方に自宅に来ていただいて打ち合わせすることに。母の荷物を持って帰宅した。

 

翌日出社し、とりあえず1週間ほど自宅で仕事の対応ができるようデータをまとめて持ち帰る準備をし、急ぎのものだけ処理をして退社。夕方に葬儀屋さんが来て打ち合わせ。

 

この段階で知っておくべきことがこちら。

 

・死亡診断書のコピーを手元に残す

この日の午前中に葬儀屋さんは死亡診断書を役所に届け出て、火葬許可をとっておいてくれた。これがないと斎場での火葬ができない。さらに死亡診断書の原本は役所に提出してしまうけれど、この後生命保険や銀行口座、携帯電話の解約などその他諸々の手続きに頻繁に必要になるため、コピーを取っておく必要がある。葬儀屋さんがコピー渡してくれるはずなので無くさないように注意して自分でも数枚複写しておく。

 

・故人の銀行口座は凍結されると現金は動かせない

死亡届を役所に出したからと言って、役所と金融機関が繋がっているわけではないので即座に口座は凍結されないけれど、ルールとしては法定相続人の了承がない限り現金を引き出すことはNG。ただ現実的には銀行に死亡を知らせるまでは、キャッシュカードの暗証番号がわかっていれば現金は引き出せる。葬儀費用や入院費用などが必要なこともあり、亡くなった後に故人の口座からお金を引き出す人は少なくないと思う。(法定相続人との間でトラブルになる可能性はもちろんあり)

 

他にも近々に必要な手続きはいくつかあるけどとりあえずこの2つ。

 

 

さて直葬の打ち合わせ。

担当の方に直葬について聞いてみたら、

「お通夜〜告別式と2日かけての葬儀はどんどん少なくなっていて、直葬がかなり増えている。今自分たちが受けている葬儀でも直葬の割合が一番多くなりつつある。」

とのこと。またお墓について聞いてみたところ、

「選べる立場であればお寺に入ることは避けた方がいい。法要などでこの先ずっとお金がかかるし、自分の子供や孫たちにも影響がある。結局維持が難しく、お墓を引っ越しするというケースも多く、今一番多いお墓の相談もそれ。宗教を問わず入れるお墓や納骨堂など、今はたくさん選択肢があるので、家族構成などに合わせてできるだけ負担の少ないものを選んだ方がいいです。」

とのことだった。

 

直葬=火葬のみとは言え、いろいろ聞いてみるとかなり融通が効くことがわかった。まず骨つぼや棺、飾るお花や遺影の有無などを選ぶことになるけれど、すべて価格が明確に記されたカタログから選ぶことができ、とにかく担当の方(男性の社長さん)が真摯で優しい方なのが幸いして、このランクのものを選ぶことがどうなのか、というようなこともざっくばらんに相談できた。遺体は斎場に安置されていて、そこで火葬をする予定だけれど、安置所に数人であれば人を呼ぶこともできるという。この「数人」というところ、何となく10人未満という肌感覚とのこと。

母は友達も多く、この時点でどうしても火葬に立ち会いたいという人もいて、遠方から出てくる親類もいたので、結局立ち会いは20人弱の予定になってしまった。おそらくこの時点で直葬の域は超えていたかもしれないが、担当の方が快く対応を請け負ってくれた。

骨つぼ・棺・お花・自宅で遺骨を安置する簡単な祭壇を選び、遺影はお葬式らしくなってしまうので置かないことにした。普通は安置所から棺を移し、火葬して終わりのところ、結局人数がいるため、火葬の間斎場の控え室を借り、簡単に飲み物と軽食を出すことにした。

当日は安置所でお花を用意し、立ち会ってくれた人たちに棺にお花を入れてもらいながらお別れの時間を取ることもできた。火葬終了後は立ち会った方々で骨上げをし、骨つぼを受け取ってすべて終了。

 

棺等費用と直葬の取り仕切り、遺体の搬送料が葬儀屋さんへの支払いで、遺体の安置料と火葬費用、控え室の使用料は斎場へ支払われる。葬儀屋さんへ一括支払いをして、火葬当日は担当者が斎場へ支払いを済ませてくれる手はず。すべてを含んで30万円以内で収まった。集合から解散までおそらく2時間強。

 

こどもの頃から葬儀に参列したのはおそらく9回。地方や宗派によって葬儀は大きく異なるけれど、一般的な葬儀屋さんや斎場でのものと比べると、直葬とは言え、思った以上にお葬式感があった。

 

当日普通の葬儀と違って受付などは設置しないので、お香典を直接手渡しでいただくことになり、喪主を務めながら手元に現金がどんどん膨らむという状況なのでその辺の管理や、自分はもちろん参列者自体が直葬に慣れていないこともあるのでその対応など、とにかく担当者の方の暖かいサポートによって乗り切れた。

 

ずいぶん久しぶりに見る顔も多くこちらはつい「やだー!元気だったー??」という調子でいるも、わたしのおなかがだいぶ出始めた頃だったので、相手の悲しみと労わりも3割増しという感じで参列者に余計な気を使わせたなぁとも反省した。

 

身内が亡くなって、葬儀というのはほんの一部で、この後に膨大な事後処理があることはまだ知る由もなかったけれど、母に捧げるものとしてわたし個人は直葬にとても満足した。担当の方の配慮もあり、想像していたものよりずっとあたたかで賑やかなものになったし、必要以上に湿っぽくなる余白もなく、間延びもせず短時間で済むので疲労感も少ない。

 

母が亡くなってからの諸々、自分でも不思議なほど淡々とこなしていて、悲しくないわけではないけれど取り乱すほどでもない、悲しみと毎日は一緒のようで別々で、でもふと彼女にもう会えないことを思い出すと無力感でいっぱいになる、というような日々だった。大切な人を亡くした時、亡くし方にも拠るだろうけれど、自分がどんな状態になるのかはその時にならないとわからないものなんだなぁと思っていた。 

 

母が亡くなった翌日から彼女の友達に片っ端から連絡し、事情を説明し続けた中で、ほとんどがわたしもよく知る相手で、何年か振りに声を聞く相手もいて「お葬式はしないつもり」と伝えると「あいつらしいわ。安置所に顔見に行くね。」という人がほとんどで、結局葬儀までの間毎日安置所に人を案内していた。遠方から来た人も顔を見た瞬間は喉を詰まらせるものの、みんなが「随分歳とったなぁ!」「またこの服着てるの?」「もうあっちで呑んでるでしょ」と笑っていて、安置所ってこんなに騒がしいものなのかしらとわたしもよく笑った。

 

いつか来るであろう母の最期。こう言ったら変だけれど、わたしは結構楽しかった。母と仲良しだった人たちと毎日のように会って、懐かしい話をしたり、わたしが生まれる前のバカ話を聞いたり、とても楽しかった。彼女にもこの送り方が似合うと思う。それ以来、その薄ら悲しさのある楽しさが、わたしの生活の一部になった。今もうっすら悲しいかもしれないけれど、あんなに破天荒で好き勝手生きて、同時にわたしと妹に尽くした人がいたと思うと楽しい気持ちになる。